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| この日記には、政治へ臨む姿勢や活動、政策だけではなくて、 その折々にかんじたこと、時事放談、趣味、感性の発露などなど、 あべたくやの日々是新(ひびこれあらたに)の ”かたち”を 書き込んでいこうと思ってます。 きっとゆがんでたり、とんがってたり、いびつだったり、 へんな ”かたち” かもしれません。 でも、単純に楽しんでいただいたり、いろいろ考えていただいたり、 時には反論していただければ幸いです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3月31日(水) 「遠州名物からっ風」
今日は、あたたかい春らしい好天。が、風がやたら強かった。
東京や他の地方ではあまり吹かないのかもしれないが、ここ遠州地方では強風は名物だ。向かい風に真正面からあたると髪の毛はぶっとび、目もあけてられないこともある。自転車などは進まない。横風をまともにくらったら転倒しかねない風が吹く。高速道路によくある「横風注意」の看板を、遮蔽物がない道路にはつけたいくらいだ。
この風を「遠州名物からっ風」という。群馬とは違い「かかあ天下と・・」はついていな
かったように思うが…。
この日曜から始まる選挙では「旋風」を巻きおこせるようにがんばろー
3月30日(火) 「あべたくの教育政策のかたち その1」
このHPの政策のところをいずれ改造して提言・議論の場にしようと考えていますが、
ときどきこの日記にも諸々の「政策私見」をのせていきます。
「教育」については以前触れましたので、まず「教育」をすすめます。
少しずつ「あべたくの教育政策のかたち(?)」の組みたてのための基本事項の整理をと
きどきつらつらと書いてみます。
1999年の文部省(現文部科学省)初等中等教育局長の発言から引用。
「日本の教育制度は、小中学校は市町村、高等学校は県ないし市町村が設置し、私立学校
はそれぞれの学校法人が設立するわけですが、高等学校以下の設置認可について文部省は
一切の権限をもっていません。文部省は学習指導要綱(全国一律の教育水準を保つための
指針、適正と思われる学習内容も示す)のような基準をつくったり、小中高等学校の教科
書の検定(民間がつくった教科書を文部省が検定し、合格しないと正規の教科書として使
用できない仕組み)、あるいは、公立学校の教員の給与費や施設整備費の財政的な支援を
おこなっているにすぎない。なのに、文部省の基準が全国画一に実施されているかのよう
な受け止め方があります。このような受け止めかたが現在のわが国の教育問題の現状を反
映しています。もう少し、学校は学校として責任をもつ、地方は地方として責任をもつ、
そして国は責任範囲を明確にするということが大切」
つまり、最低限のルール(学習指導要綱など)を守れば地方の責任で学校つくっていい
よ、ってことです。
とすると、統合・廃校にする危機にあるような学校を発想の転換で、地域の特性を活か
した学校に衣替えすることだって可能です。統廃合の危機にある学校ほど、地域とのつな
がりが深く、地域が教育や学校に関わることが多いという事実もあります。これは実現性
が高いと思いませんか?
この"地域主導型"の学校のことを、「コミュニテイスクール(地域の学校)」と呼びま
す。モデルはアメリカの「チャータースクール」であり、イギリスの「LMS」です。そ
れぞれについて詳しく説明したいのですが、ここでは省きます。興味のあるかたは連絡く
ださい。
これは、ぜひ挑戦したい「あべたくの教育のかたち」です。
3月29日(月) 「こころをこめて努力することだ」
薄暗くなったハウスに、旧知の農家のおかあさんを訪ねた。
もうほとんど夕闇が支配しつつあるハウスの地べたに座り込んで、そのひとは一心に野菜
の苗を丁寧に、ひとつひとついとおしむように植えていた。
僕は、しばしたたずんだ。声を掛けることを思いとどまる。
春のかすかな残光のなかに、こころのこもった空間がそこあった。
満面の笑みで迎えられ、歓談後退出のとき
「私は、野菜を朝市にだしてるんだけど、決まった番号で出品するシステムなんど。ここ
ろをこめて育てた野菜を出品しつづけたら、いつしかその番号に"指名"がくるようになっ
たんだ。嬉しかったよ。」
「あんたも、こころをこめて努力しなよ。必ずだれかがみているよ。こころをこめてね。
」
熱いものがこみあげた。
「農業」という生きることの基本の現場にいる方の言葉は、やさしい慈しみに満ちてい
る。土とともにあるヒトは美しい。土にまみれた手がこころを語る。
こころをこめて努力をすることだ。
いま政治が求められている、"信用できるすがた"が薄暮のビニールハウスにはあった。
3月28日(日) 「挑戦」
「やりたいって言うから、若手はいいなあ」と今日言われました。
「古参議員は、あれもやったこれもやったの自慢ばなしのようなおはなしばかり。実績は
とても大切なのはわかるけれども、夢を語ってくれない」とも。
新人として選挙に挑戦するものは、当然ながら実績はないんで「夢」だったり「理想」
だったりを語ります。でも、古参議員もみんな新人のときはそうだったはずです。
では、なぜ「夢」を語らないか。
それは、きっと「怖いから」だと思います。
政治における「仕事」というのは、そんな甘いものでも簡単なことでもなく、「夢」と
して語った半分も達成できなかったりします。政治の世界に15年いてそれはイヤというほ
ど思い知りました。だから、古参議員のみなさんが、「うそにならないように夢は語らな
い」という気持ちはよくわかるんです。でも、政治に臨む者は「夢」は語らなきゃいけな
いんです。政治は自分のためにやるものではないし、地位や名誉のためにやるものでもな
い。ましてや「議員」のポジションは「守る」ものではない。夢や実績が評価されてはじ
めて「託される」ものだ。ここをまちがえないようにしたい。
かつて、西郷隆盛が山岡鉄舟を評して言った言葉があります。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る。ただし、始末に困る人で
なくては、艱難をともにして国家の大業は成せぬ」と。
「挑戦」とは「始末に困るやつになること」の決意です。
3月27日(土) 「ボビー・バレンタイン」
今日、プロ野球パ・リーグ開幕。
私は千葉ロッテマリーンズのファンである。子供のころの「刷り込み」で当時強かった
セ・リーグは巨人、パ・リーグはロッテとなった。その後、巨人ファンはやたらいても、
ロッテファンはめったにいなかったりするんで、やめられなくなった(笑) ま、「貧乏
弱小球団」でも"ハートがある選手"は多くて、"やめられなくなった"のではなく"やめたく
なくなった"というのが正解ですが。お金で選手の顔をひっぱたいてやたら連れてくる球団
ではなく、努力した選手が次々育ってくる球団です。村田兆治しかり、落合博満しかり、
伊良部秀輝しかり、黒木知宏しかり。ファンも"金はなくても、応援はひたむきに"という
「12球団NO1」と評判の"熱い、ハートフルな"球団なのです。
そのロッテが開幕戦、松阪の西武に完勝。
今年は、ボビー・バレンタイン監督が9年ぶりに復帰。彼は明るい。
とにかく選手とともにあり、陣頭でともに戦う。ともに悩み、ともに笑う。
選手の長所をほめる。チャンスを与える。
キャンプでロッテは劇的に変わったらしい。
なにがっていうと「目の色」が。
「自信に満ちた闘う目の色」に。
3月26日(金) 「ニュースステーション終了」
ニュースステーションが今日で終了した。「反骨心」を感じる番組でした。
久米 宏氏の、ときに独善に走る切り口は、物議をかもすことはあったが、それぞれの
問題の良し悪しは別として、あれはあれで「ジャーナリズム」の姿として良かったのでは
ないかと思う。
ニュース番組の「わかりやすさの追求」という点では功績は大であり、その番組終了を
惜しみたい。
3月25日(木) 「上善水如」
「上善水如」 "じょうぜんみずのごとし"と読みます。
今日、リーフの"好きなことば"のところをみていた女性から「お酒ですか?」と問われ
ましたので触れておきます。
わたしの好きな言葉でもあり、好きなお酒でもあります(笑)
一応断っておきますが、お酒が好きでこの言葉を好きになったわけではありませんので
あしからず。・・・でも、おいしい日本酒です。
前置きはさておき。この言葉は「水のように生きることが最善の生き方だよ」というこ
とをあらわしており、「水は常に低いほう低いほうに流れる"謙虚さ"があり」「水は流れ
を変えたり、土に染み込んだりする"柔軟さ"があり」そして「水はときに岩をも貫く"強さ
"をもつ」という意味があります。
政治に臨むにあたり、この言葉を自らに言い聞かせて日々の活動に取り組んでいます。
3月24日(水) 「センバツ」
甲子園でセンバツ高校野球が開幕している。
いまから26年前、第50回大会の浜松商業の1回戦をおやじに連れられて
甲子園に観にいった。確か対益田高校。1−0で勝った覚えがある。
バスから遠かったこと。アルプススタンド。マウンドの樽井投手。曇り空。
そしてその大会、浜商は優勝した。
甲子園。すごく鮮明に覚えている。
ことしも、26年前のボクのように、何十年たっても鮮明な思い出でありつづけるドラマ
があの場所で繰り広げられますように。
3月23日(火) 「世界のなかの浜北?」
先日台湾の総統選挙のことについて触れましたが、世界ではこのところ大きな選挙がつ
づいています。列車テロに揺れたスペイン総選挙、インドネシア総選挙、ロシア大統領選
挙。韓国も来月総選挙です。
他国の選挙だから関係ないと思わないでください。選挙によってそれらの国の政権や大
統領がかわると(もしくは変わらないで信任をうけても)必ずなんらかのメッセージがで
てきます。外交方針の転換だったり(例えばスペイン。イラクからの撤兵を明言)内政方
針の強化(例えば与党が大勝したインドネシア)など。これらは、一見関係ないようにみ
えますが、実はすべて日本、そしてわれわれの生活にまでつながってきます。
世界に散る大学の仲間たちからのメールがときどき飛び込んできます。今やメール一本
で世界各地の現場の生々しさが伝えられる時代となりました。ロンドンの金融市場の動向、
ニューヨークのデモ、サンクトペテルブルグの開放化の様子。質問されたり質問したり。
うーん… 世界は動いている…
これだけ情報があふれる現代。よーく選別をして噛み砕き応用し、日本地方型スタイル
までに直してみて、では具体的に、ここでどんな農作物をつくるべきか、どんな企業を誘
致したら良いか、どんな教育方針にすべきか、どんな危機管理体制をつくるか、などなど、
世界のこともリアルに見ておかないとくらしは良くなりませんね。
「世界の中の浜北」そんなかんじでしょうか。
でも、やっぱり情報は直接自分の足と目と耳で手にいれることが一番だと思うな。世界
は知って、地方で実践。これもまた愉しからずや。
3月22日(月) 「浜北モデル」
いま国が進める、規制緩和策でもあり、地域振興・教育・まちづくり・経済振興などの
モデルケースとして、全国から地方発の、いわば"実証実験"がおこなわれている。200
2年12月施行の法律に基づく「構造改革特区」というものがそうだ。
残念ながら静岡県のみなさんには、指定されているところが少ないのでなじみが薄いか
もしれませんが。
「既成の法律・条例のワクを越えて、活性化策をいろいろ試してごらんよ」
というのが趣旨で、全国で236の特区が誕生している。いくつかの例を列記すると、
「ロボット特区(福岡・北九州市)」、「英会話特区(足利市)」、「小中一貫教育特区
(品川区)」、「棚田特区(鴨川市)」、「土地賃貸特区(和歌山県)」など。
この「構造改革特区」は一例であるが、政治とは「民意の達成のための手段」であって、
このような国の施策、県の施策はどんどん応用して活用しなければもったいないし、待っ
ているだけでは民意はなかなか達成できない。合併を控える浜北市も、「新市になったら
」という広い視野で構想を描かなければならないと思う。浜北市はいろんな「浜北モデル
」を提示して「新市」をひっぱる存在でなければ合併してもおもしろくない。
3月21日(日) 「極上の時間」
リラックスする時間のひとつにお気に入りのテレビ番組を観ることがあります。一週間
のうちでだいたい決まったお気に入りの番組があるのですが、仕事柄早い時間の番組は観
られなかったので、どうしても遅い時間帯のモノになります。ついでなので書いておきま
すと、定番は、月曜日の「プライド」(テレビ静岡21:00〜 キムタクドラマはあべたく
・キムタクつながりで好きです。おこられそうですね… でも、彼を役者として評価して
いるので彼のドラマは結構観ます。)
水曜日の「ロズウェル」(教育テレビ24:00〜)、金曜日の「探偵ナイトスクープ」
(朝日テレビ23:45〜)、土曜日の「世界ふしぎ発見」(TBS21:00〜)、日曜日の
「世界遺産」(TBS23:30〜)でフルラインナップです。
今は時節柄、早い時間のものは観られなくなってしまっているのですが、今日は「世界
遺産」を堪能しました。雄大な自然や先人の遺構に思いをはせながら、スコッチウィスキ
ーのロックを一杯。この30分は「極上の時間」です。
「自分を開放できる」大切なひとときは、やっぱりいいですねー
3月20日(土) 「大義」
今回、浜北市議会議員選挙に臨もうとしているわけですが、選挙というものは、近くな
るにつれ本人および周辺がヒートアップしてくるが常です。
そこで、あと3週間となったところで、きちんと今回の「大義」を自分自身がまず見失
わないように確認しておきたいと思います。
「政治とはミッション(使命を帯びた仕事)である」が私の信条です。
今回のミッションは、
@ 既定路線である浜松市および周辺市町村との政令指定都市をめざしての合併に際して、
明確な(具体的に、抽象的な語句だけでない)浜北地域の位置付けづくり。
A 「市民生活の利便性」や「教育」「福祉」「危機管理体制」「産業」などで新市で市
民みんなが欲するような"浜北モデル"づくり。
B 浜北北西部地区の地域代表として、遅れている基盤整備(道路、土地改良、交通安全
対策など)や市民サービス(福祉、コミュニティバスなど)、まちおこし(教育、観光な
ど)の向上をめざす。
C 財産区問題。
D 温泉問題。
@Aは浜北市全体の将来にかかること、BCDは地域性が強いものとなっています。
さて、この5つは私の「ミッション」ですが、政治をめざす者は、皆「ミッション」を
もっていて欲しいと痛感しています。
いままでの浜北市を振り返るとどうであったでしょう。
一市民としてみていて、とても残念ながら、それぞれの市長さん議員さんが「ミッショ
ン」を持ちながら、個人的な感情や思惑のなかで、それらの良いミッションが実行されず
に今日を迎えてしまっているようなことがあったのではないかと感じられます。
「感情」というものはやっかいなもので、非常にコントロールするのが難しいものです
。わたしもよく友達や家族に諌められてきました。
しかし、今回の「浜北市市長」「浜北市議会議員」になる者は、たった1年しかない「
浜北市」としての政治を、86,000市民の将来を担うのです。
個人的な恩讐や思惑を超えて、「浜北の将来のために」という「大義」のもとに力をあ
わせ、タイムリミットまでにできるだけ多くの施策を講じてゆかなければならないと、強
く、考えています。
「仕事をさせて欲しい」
とにかく、その一心で今回の選挙に臨みます。
順位など関係ありません。トップでもビリでも議員になれれば仕事現場は同じです。「
政治」をなんのためにするのか、そう考えたら、「答え」はこうではないでしょうか。
とにかく、「大義」のためにがんばります。
3月19日(金) 「台湾・陳総統暗殺未遂」
台湾で陳総統と呂副総統が選挙遊説中に銃撃されるという事件がおきた。
幸いふたりとも命に別状はないようだが、また暴力である。
台湾の場合、今回の選挙の争点が「中国からの独立か否か」という、非常にデリケート
な問題に直結していることもあるが、暴力はいただけない。真剣さが昂じて暴力となるこ
とは、悲しい。
理性を持つ人間という種族は、民主主義による「対話」で「平和」を導くことができる
はずなのに、直情的に暴力に走ることはより動物的にもどってしまっているのではないか
とまた心配になる。
「教育は国家百年の計」。
今回も重さをひしと感じた。
また、台湾のことは「近くても意外と知らない国」であったりするので、選挙結果も踏
まえて、これからの日本に多いに関係してくると考えられますのでいずれ機会をみて紹介
したいと思っています。
3月18日(木) 「心に落ちる」
最近、「心に落ちる」という表現を意識して使っている。
沢山のかたがたとお会いし、さまざまなお話しをお聞きし、議論もする。
書物やインターネットなどから膨大な情報も得る。
そんななかで、本当に自分自身でそれらをかみくだき分析して理解できたもの、
自分なりの「言葉」や「かたち」にできたものを、「心に落ちたこと」と意識することと
している。文章にすると短いが、実際はなかなかできそうでできないことである。慣れと
かコツとかがあるものではなく、気合だけでもだめである。
自分らしく、自分なりに、「心に落ちる」出来事、ことば、行動などをひとつでも多く
つくっていきたいと思う。
3月17日(水) 「泥のように」
"泥のようにねむる"という言葉があるが、まさに今夜体感。
お酒を飲んだわけでもないのに、とにかく眠い。まあ午前様にはちがいないけど。
パソコンにむかっても、一行ごとに眠っている。気づくと体勢が崩れてイスからすべり
落ちそうになっている。
首や肩が痛い。
まあ、選挙も佳境に入ってきた証拠。
がんばろう。
泥まみれになっても、
泥沼には沈まないように。
3月16日(火) 「さくらのすけ」
私の長男の名前です。
「阿部 桜之資」と書きます。産まれた日が観測史上最速の桜の開花日であり、私自身も
日本人として非常に桜には思いいれが強かったこともあり、どうせ男の子で「桜」の字を
使うのならば日本男児らしく、思い切って「さくらのすけ」としました。
桜の木というのは、一年で花を咲かせるときには本当に見事に美しく咲かせますが、皆に
惜しまれても、花の盛りの時のまま散るときは潔い。そして、また一年じっと毛虫に耐え
風雪に耐え、樹を太くし枝を伸ばし葉を茂らせ、見事な花を咲かせる。
日本人はそんな桜の木を、愛でて大切にし、その花の盛りを祝うように花見をし、気の
置けない友と酒を酌み交わす。
本居宣長の句
「大和魂(やまとごころ)を人問わば、朝日に匂う山桜花」
"日本人のこころとはなんですか、と聞く人がいたので、それは「遠い山のなかで沢山の
木々に囲まれながらも一本だけ咲いている山桜が、(匂うはすがないのに)朝日が昇ると
ともにまるで桜の花の香が匂うように錯覚してしまうくらい、凛としてまるで強い意志を
表示してたっている桜そのものです」"
桜を愛でても花見までする国は世界のなかでも日本だけだと聞きます。それは、桜の木
のように凛として生きて見せます、それが日本人です。という誓いを桜の木の下で立てた
宴だったのかもしれません。
「桜の資質を備えなさい」の思いをこめて名づけた桜之資も今日で2歳。
名を呼ぶたびに、みずからも日本人らしくありたい、と思いつつ日々をすごします。
3月15日(月) 「ルール」
アテネオリンピックのマラソン女子代表から、日本最高記録保持者の高橋尚子さんが
漏れた。残念である。
選考会での記録が悪く、成績順でいけば候補者のなかで5番目でありしかたのないとこ
ろであるが、「惜しいなあ」という気持ちを多くの人がもっているんじゃないかと思います。
でも、彼女の会見録画を深夜のニュースで見ていて、感じたこと。
「選考には納得しています。とても走りたかったので残念です。でも、マラソンは続けま
す」 31歳の彼女からしたら、オリンピックは今回が最後かもしれない。また、最後
の選考会にも出場しようと思えば出られただけに、余計悔いが残っているかもしれない。
しかし、「笑顔」。
"乗り越えてるなあ"と思った。
一発勝負には、実力だけではどうしようもない「運」や「コンディション」などがはた
らく。最後の代表のイスを手に入れた土佐さんだって、ギリギリの状況であの脅威の粘り
とタイムをたたきだしている。彼女にとってあれが最高の走りで、オリンピックではぜん
ぜんだめかもしれない。でも、「ルール」のなかで公正に戦って勝ったのだから、そのが
んばりや成績は認めなくてはいけない。今回、選考にあたった日本陸連のかたがたは、さ
ぞや苦渋の選択であられたと思う。小泉総理ですら「なんとかならないのかねー 枠を増
やすとか」とまで発言するくらいだから、国民感情を考えたら苦しかったと思う。
でも、この選考は高橋さんが言うとおり正しい。やはり、「頑張った者が報われる」社
会でなくてはならないのだから。「ルール」がなければ社会はなりたたないのだから。
高橋尚子さんの笑顔。でも彼女の「目」は秘めた闘志をもっていた。カッチリと「次」
を見据えた、試練を"乗り越えた"者しかできない「目」を。
こころから彼女にエールをおくりたい。
3月14日(日) 「ゆず」
"みどりのまちはまきた"は、緑化木センターで恒例の「植木まつり」。
せっかくですので"みどり"にちなんだ日記にします。
我が家の車庫から玄関までの短い行程に冬から春への季節感が息づいています。
両親が植えたものであるが、厳しい冬のあいだ際立つ黄色い色でたわわに実る「ゆず」。
寒さにふるえながら帰宅しても、いつも明るく迎えてくれて、ときには料理の旨みを
増してくれたり、風呂に浮かんでいたり、長丁場の冬に大活躍してくれました。
そして今朝、家を出る時に「ゆず」の横で満開になっている「紅梅」に足を止められ
ました。あたたかい陽光と鳥の声。「うーん 春がきたんだなあ」と感じられるひととき。
ふんわりとした気分を振り払い気合を入れながら、「今夜はゆずに感謝しながらゆず湯
にしよう!」と飛び出してきた朝でした。
さらに、このあとは玄関横の「桜」が控えます。
「がんばって自分自身も満開のサクラを咲かせないと」と気を引き締めて、日記も
"締め"とします。
3月13日(土) 「マドリード 追悼」
11日、スペインのマドリードで通勤列車の同時爆破テロがあったことはご承知のことと思います。
異国のこととはいえ、200人余の死者、1500人近くの負傷者がでたことに深く追悼の念を表します。
テロの真相はまだ完全には究明されていないが、根底には民族紛争があるようだ。
暴力での自己主張による大きな犠牲。なぜ、無差別にひとをいとも簡単に殺せるのか強い憤りを覚える。
日本は、現在までは総体的に「平和」な国家として今日を過ごしている。しかし、いつなんどきこの無法な刃にふりかかられてもおかしくない世界情勢である。
静岡県の片田舎にいても、「世界のなかのニッポン」をかんじなきゃいけないときがある。
正義を正義として、悪を悪として。
次の世代を担うわれわれが認識して、子供たちにもきちんと伝えなければ。
ボクは基本理念の柱に「教育は国家百年の計」「危機管理体制の確立」を掲げている。
ひととしての基本となる「教育」には「すべて」がある。
”テクニックとしての教育”ではなく、”利便性だけの教育”でもダメだ。
まずは”ひとりの人間としてのかたちをつくるもの”でなくてはならない。
「危機管理体制の確立」は、災害やテロ、疫病などに対する対処法の確立と情報開示・訓練はもちろんだけれども、人間そのものに少なくとも今回のマドリードのテロのような思想を持たせない教育も「危機管理」である。
3月12日(金) 「遠方より友来る」
朝、いきなり電話があって、東京の友人が応援に押しかけてくれた。
人遣いの荒い(?)ボクは、さっそくこき使ってしまいましたが・・・(笑)
また、タイで自身が会社を経営する友人からもメールがあった。
元より、現在の後援会活動の大きな一翼となってくれているのも同級生や先輩後輩、
各種の関係団体の厚誼を結んでいただいたかたばかり。
ホントに頭が下がる。
友達とは、なんてありがたいものだろうかと思う。
あかの他人だったひとたちが、同級生として、または先輩後輩として出会う。
そしていろんなカタチで友情を育てる。
なんて、いいことなんだろうか。仕事もしがらみも抜きの”無償”の前提で
培ってゆく関係は「友情」なんだろうと思う。
感謝。こんな、こころのつながりを大切にしたい。
「遠方も近隣も、友来るは、愉しからずや」
3月11日(木) 「思考錯誤」
考え込んだ。「教育基本法シリーズ」を日記にアップしたけれど、
できたらこういう政策論については、いろんな意見をいただきながら構築してゆきたい、
という思いがある。
日記で長すぎても・・・ と、思いつつ、多少はしょってしまい、思うところがいまいち伝えきれていない気もするし・・・。
「政策」のところで、掲示板方式か何らかのカタチで相互通信ができる方法を考えたいなと思ってます。
「政策」こそ、ひとりよがりでなく双方向の意見交換の結果導き出されるものだと思うので。
HP思考錯誤しながら良いものにしていきたいと思ってますので、
ホントにメールください!まってまーす
3月10日(水) 「花曇り」
今日は、なんとなく”春の香り”のする一日でした。
うぐいすが鳴き、風がふんわりと春の微薫をはこぶ。
四季を体感できるということは幸せなことですねー
3月9日(火) 「教育基本法 パート2」
ちょっと大上段からふりかぶって、つづきにはいります(笑)
教育改革を考えたとき、まず「教育基本法」を見なおさなければならないということを理解して
いただきたい。
「教育基本法」とは昭和22年に制定された、その名のとおり教育の基本指針を定めた法律です。
この法律、よーく全文を読んでみると(全部で11条しかない短いものです)日本の郷土のことや、
伝統、文化、道徳心などにまったく触れたくだりがない無機質な法律である。
なぜか?
これは、制定当時はまだ存在していた「教育勅語」とセットで”新しい日本の教育の姿”が
描こうとしたからだと考えられます。
「教育勅語」とは、明治天皇のお言葉というかたちで発せられた、いわば”日本の良き伝統と教えを守りましょう”という”教育の基本”で、当時は教室に飾られ、 皆で唱和していたものです。
内容は「親孝行し、兄弟夫婦仲良く、友人を信頼し、礼儀正しく、 みずからは慎み深く、ひとには博愛の精神で親切に、学業・仕事に励み、知識・見聞を広め、
社会貢献し、法を守り、ひとたび国家の一大事となれば正義のためなら勇気を奮い起こして身を尽くそう」というような内容です。
日本人の”精神”とか”魂”の部分といえるかもしれません。 ところが、GHQ(当時の占領軍司令部)の指導で「教育勅語」は廃され、その後、日本の
教育は”魂”抜きになってしまったのではないか。 そこが、今日における「道徳心や礼の欠如」であり、ただ「権利」のみ主張する「自己本位」の
かたまり、師曰く「動物化してしまった日本人」の姿を生み出してしまったのではないかと
強く感じるきょうこのごろです。
だからこそわたしは、今訴えます。 「教育の現場にどんどん踏み込んでいきます」と。 実際見てみて、聞いてみて、話してみないと、現場になにが足りなくて、何が不要なのかを きちんと見極められないので。
3月8日(月) 「教育基本法 パート1」
今日たまたま、ある宗教者のかたとお話しをする機会を得た。
宗教うんぬんではなく、「教育論」についてである。
師曰く、「人間が動物化している」と。
「欲望のままに、自分本位にしか生きていない。かつて日本の美徳であった
躾がなっていない。たとえばおはしの持ち方、あいさつのしかた。
助け合おう、という気持ちも薄れている。
すべては、道徳教育の欠落だ」と。
まさに、”我が意を得たり”と感じて議論をした。
政策のあたまに「教育は国家百年の計」と謳った私としては、政治に臨む気持ちを
強くしたひとときでありました。
「道徳教育」が、はたしていつから欠落してしまったのか?
過日そのヒントをつかんだので、少し具体的に踏み込んでみたい。
1月に私の所属する(社)日本青年会議所(通称JC)の新年恒例行事となっている
「京都会議」なるものがあった。単年制であるJCのその年のトップ(会頭)が、
全国5万人のJC会員に施政方針演説のような思いのたけを述べ、また、並行して
会頭の意に沿った各種セミナーが開催される。
今年、そのなかの「教育改革セミナー」に参加してみたところ、非常に興味をそそられる
定義をもとにセミナーをすすめていたので、かなり引き込まれてしまった。
その定義とは、「教育基本法は教育勅語によって補完されていた」というものだ。
この内容については、かなり長くなるので読み飽きられないように、日記の3本目から
いきなり読者に逃げられないように、あすに譲ることとします(笑)。つづく・・・
3月7日(日) 「月光」
私の自宅は小高い丘の上にあります。茶畑や梅林、畑のなかに家が散在するというエリアです。
今日のような月のきれいな日には、夜更けに帰宅すると、そこには静寂と月のあかりが出迎えてくれます。人工のあかりではなく、月のひかりで周囲を見渡せます。畑や道、となりの家や遠い山々まで。家に入らずに、月を眺め、佇んだり、すこし歩いてみたり。
癒され、元気がでます。
月光のみの世界。いいかんじです。
月ゆきのチケットはまだないけれど、月からのメッセージはずっと前から届いていたんだと思う。
便利さや計算のみでは成り立たないのが「ひとのこころ」ではないのかな。
この情景、次の時代にも伝えてゆきたい。
3月6日 「おかげさまで」
本日、来る4月4日告示、11日投票の浜北市議会議員選挙に向けて、「阿部卓也後援会、事務所開き」を開催していただきました。
風の強い屋外で、しかも途中しぐれまで降る悪条件のなか、沢山のみなさんにお集まりいただき、本当に感謝しています。
ふるさとのみなさんとは温かいなあとじーんとしたのは、しぐれのなか立っていていただき、恐縮して謝っていたら、「本人の挨拶の結びで、急に雲がわいて雨が降るのは縁起がいい。”降りこむ”というんだ。票が最後にどっと降りこんでくるぞ」とか、「あの好天から嵐を呼べるとはたいしたもんだ。浜北に嵐をまきおこしてやれ」と口ぐちに声を掛けていただき、かたをたたいていただきました。一層ふるさとのために働きたいという気持ちを強くいたしました。「生活感」と「魂」を感じたひとときでした。
「おかげさまで」という言葉があります。かげになって支えてくださるかた、さまざまなかたちで舞台に立つ者のバックアップをして下さるかたに、本当に感謝と尊敬をこめる意味で「かげ」に「お」をつけ、「さま」をつけ、心からの気持ちをこめて発する言葉が「おかげさま」です。
今日は、政治を志す阿部卓也の第一歩の日です。また、この「負袋録」の第一頁を刻む日でもあります。
今まで阿部卓也にかかわっていただいたすべての皆々様に本当に心をこめて言わせていただきたい。
「おかげさまで今日の日を迎えることができました。本当にいろいろとありがとうございます。全力で頑張ってゆきます!」